メモ魔のめもまみれBlog

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村上春樹の考えるオリジナルであるための3つの条件

『職業としての小説家』

何かを創作することがある人なら「独創的なものを生み出すには?」「人が真似できないような魅力とは?」なんて考えることがあると思いますが、そんなオリジナリティの条件について村上春樹さんは『職業としての小説家』の中でつぎのように語っています。

僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナルである」と呼ぶためには、基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。

  1. ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解できなくてはならない。
  2. そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新力を有している。
  3. その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。

もちろんすべての項目をしっかり満たさなくてはならない、ということではありません。

村上春樹『職業としての小説家』pp.90-91

この本はいじわるな見方をすると、村上さんがこれまでの自身の足跡を肯定するために書いたものとも読めなくはないので、自分(村上春樹)の作家としてのオリジナリティについて説明している文章とも言えると思うのですが、仮にそうだとしてもなかなか面白い視点だと興味を持ちました。

一般的にオリジナリティというと、上記の条件の(1)の部分だけにフォーカスすることが多いように感じられます。例えば少し前の東京オリンピックのロゴ問題なども(1)の部分で世間を騒がせたような気がします。それに比べると(2)や(3)がオリジナリティの条件として重視されることはあまりないような、少なくとも私はあまり重視していなかったのでこの考え方に新鮮味を感じました。

内田樹孔子

別の作家で内田樹さんはこのブログ記事でオリジナリティについて語っていますが、ここで触れらている孔子の言葉「述べて作らず」(コピーしているだけで、オリジナルではない)を元に、内田さん自身は「軽々に創造者を名乗るべきではない」「模倣者は模倣をつうじてしばしば前代未聞のことを作り出している」というオリジナリティそのものにやや懐疑的な主張をされています。この考え方にも十分に頷ける部分がありますし、前述の孔子の言葉は、村上さんの(3)の条件に該当しているとも考えられそうです。

オリジナリティあふれるヒッチコック

『定本 映画術』

この村上さんの考えるオリジナリティの3つの条件すべてを満たす人物にはどんな人がいるか、と考えたときに、最初に私の頭に浮かんだのは映画監督のアルフレッド・ヒッチコックでした。彼は20代で映画を撮り始め、その時からヒッチコック独自だと言えるスタイルを有した映像表現で、その後もずっと長きにわたって撮り続けて映像表現(スタイル)を改善していき、61歳の時の作品『サイコ』でそれは最高潮に達しました。そしてそのヒッチコックのスタイルは、後世の映画監督に多くのフォロワーを生み出しました。このあたりについては、映画本のバイブルと言われているトリュフォーによるインタビュー集『定本 映画術』が詳しくて非常に面白いのですが、それについてはまた別の機会に。

というわけで、今後オリジナリティについて考えを巡らせるときには、この村上春樹の3つの条件も思い返すようにしたいのでメモメモっと。