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【書道マンガ】とめはねっ! 鈴里高校書道部(河合克敏)

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金沢21世紀美術館 | 井上有一

『とめはねっ! 鈴里高校書道部』

書道マンガの『とめはねっ! 鈴里高校書道部』河合克敏)を一気読みしたので感想をメモメモ。

「書道」という珍しいジャンルをテーマにした作品ですが、永字八法や楷書、臨書などの初歩的な解説から始まり、色々な切り口で素人にもわかりやすく書道を紹介してくれる興味深い作品でした。また、個性的な仲間たちに囲まれて展開する清潔感のある青春ドラマがほどよく調和していて、地味なテーマにもかかわらず、じっくり・ゆっくりと積み重ねるタイプの良い青春学園マンガでした。

主人公やヒロインはもちろん、端役な登場人物でもしっかりキャラが立っておりそれぞれに魅力的なのもこの作品の特長で、メインである学生たちだけでなく教える側の大人たちも魅力的で個性的です。なかでも主人公たちの担任である「ハゲ山」こと影山先生がとても良かったです。

影山先生が、11巻で「木簡の臨書」の指導で美しさの多様性についてこのような説明をしている場面や、14巻の「卒意の書」の説明のくだりなどでは、解説そのもののわかりやすさもさることながら、この先生の性格もよく出ていていいシーンだと感じました。

書道とは、ひとことで言うと美しい文字を書くことだが、美しい字というとすぐに王羲之の「蘭亭序」や初唐の「楷書」のようなきれいな字を思い出してしまう。しかし、これは西洋美術に例えればモナ・リザやミロのヴィーナスみたいな理想的な美しさであって、それは美しさのひとつの方向性でしかない。世の中にはゴッホセザンヌピカソのようないろんな美しさがある。

「木簡」や、龍門石窟の「造像記」など、きれいな字とは言えないが、違った美しさがある字だ。アンバランスなようであっても、力強く、勢いがあり、味がある。 「前衛書」の先生は君たちに、きれいな字とは違った美しさがあることを知っておいてほしかったんだろう。そして、書というものをもっと自由にとらえてほしいと。

河合克敏『とめはねっ! 鈴里高校書道部』11巻 pp.6-7


「寧ろ拙なるも巧なるなかれ」だな。明末の書家、傅山の残した有名な言葉さ。「拙なるも巧なるなかれ。醜なるも媚なるなかれ。支離なるも軽滑なるなかれ。直率なるも安排なるなかれ。」と続く。 多少、下手な書よりも、技術だけで心のこもっていない書のほうがいけない。多少カッコ悪い書よりも、媚びた書になるほうがいけない。多少、バランスが悪くても、軽はずみに滑らかな書よりマシだ。ありのまま真っ直ぐに書け、あれこれ巧妙に考えすぎるなと、言ってるんだなっ! …と、口で言うのは簡単だけど、そんな境地の書なんてオレも書けないけどな。

河合克敏『とめはねっ! 鈴里高校書道部』14巻 pp.50-51

中盤の7巻あたりから面白さが増していきどんどんのめり込んでいけます。とくに後半の井上有一(冒頭の写真の人)の書のくだりは、主人公と同様に読者にも何かしらの影響を与えてくれる重みのある展開でした。書道に興味があったり、さわやかな青春学園モノを読みたかったりする人には特におすすめです。